阿里山鉄道の奮起湖駅の弁当(便當)
さて、阿里山のこと、忘れる前に色々書きたいのですが。
この記事では、「阿里山鉄道のお弁当」について言及したいと思います。
まずは、実際に私が食べた感想。
それから、原住民との関連・歴史について述べていきます。
車を駐車場に止めて、竹の道を降りていくと、駅にたどり着きます。
線路を歩いたり、寝転んだり、写真をとったり、皆思い思いに
過ごしています。奥にいくと、駅の上のお手洗いがあり、
さらに突き当たりに、電車の車両(電気・SL)が展示してあります。
大井革鉄道との姉妹鉄道提携に関しても、パネル展示があります。
そこを抜けると、今度は資料館。
日本統治時代と思われる古い建物の中に、当時の木材の伐採や運搬、
植生に関するパネルや、当時使われていた、切符や切符を切るパンチ、
電話などが展示されています。抜けて右側の坂道を降り始めて、すぐのところに
2階がセブンイレブン、1階にお弁当を楽しめる場所があるのです。
お弁当は、持ち帰りが110元、店内利用が220元です。
店内の方が10元高い理由は・・・・
・スープが飲み放題(この日は、筍が入っていました)
・特製のアルミ弁当箱に入れてくれる
からだと思われます。
さて、お弁当の中身は、というと、
チキン、豚肉、卵、筍、キャペツ、赤い豆皮(「豆枝」というようです)
たくさんの台湾ご飯を食べてきた私でも、特に、豚肉の味付けは
かなり美味しいと思いまいした。それから、赤くてチリチリした豆皮は
今まで目にしたことがなく、少し甘めの味も良かったです。
味については以上です。
次に、歴史。
アジア・アフリカ研究所の「台湾資料」
のHPに、詳しく書いてありました。
http://www.gicas.jp/taiwan/panel15.html#top
そのまま、引用します。
台湾原住民が日本統治期の資料を用いて祭りや儀礼を復活させることは、自分たちの被植民者・被調査者であった過去を、資源として現代に利用する営為といえましょう。「過去」とは、ただ歴史の一部を構成するだけではなく、時には、民族としての誇りを取り戻したり、現在の生活をよりよくしたりするために、たいへん重要なものです。そして、そこで利用される「過去」は、写真や文字で残された資料には限られません。
その例の一つを、阿里山鉄道の奮起湖駅で売られる弁当の変遷にみることができます。
台湾の中部山地に位置する阿里山は、二〇世紀初頭から日本によって林業開発が始められ、林業の衰退後には観光地として名が知れるようになった地域です。開発当初の阿里山の森林には、樹齢何百年という良質なヒノキの大木が群生していました。台湾総督府はそこを直轄経営し、木材運搬用の鉄道を敷設し、林業に従事する職人を集めました。鉄道の駅の周りには集落ができ、商売をする人も現れました。阿里山から切り出されたヒノキは日本へと運ばれ、日本各地の神社の大鳥居を建てるのにも重宝されました。
阿里山鉄道沿線で最も栄えたのは、奮起湖という駅です。ここは、スイッチバック方式で運転する鉄道の上下線がすれ違う地点で、当時、嘉義の街から阿里山へと向かう列車は、お昼前にちょうどここにしばらく停車をしました。街からの乗客は、この駅で待ち合わせの時間に昼食をとるのが常で、呼び売りもいたといいます。
戦後に、阿里山は観光地としてさらに栄え、多くの人が鉄道を利用するようになり、奮起湖駅のホームには、食堂を開業して、そばを売る人が現れました。やがてそれは弁当販売へと切り替えられ、奮起湖の弁当は、たいへん有名になります。客は列車の待ち合わせの時間に弁当を食べ、容器は返却するという仕組みでした。この店主はやがて、嘉義の駅でも、乗客が列車内で食べるための弁当を売り出し、これには、薄い木の板で作った使い捨ての箱が使われました。
一九八〇年に嘉義の街から阿里山へと通じる大きな道路が開通し、阿里山鉄道の利用客は激減しました。弁当販売も打撃を受け、最盛期には一日約二,〇〇〇食だった売り上げは二〇食にまで落ち込みました。その後、弁当屋の店主は経営の転向をし、一九九一年に奮起湖でホテルを開業します。そこで、かつて名の知られた奮起湖の弁当を観光客に食べさせるようになりました。以前と同じアルミの弁当箱を使い、その場で食べさせて容器は再利用するという方式で、人びとに郷愁の念を呼び起こさせることに成功、今では一日平均二〇〇個の売り上げだといいます。
さらに店主は近年になって、阿里山の特産品だったヒノキを使った弁当箱を製造し、観光土産として販売するようになりました。日本時代に伐採し尽くされて今ではわずかになったものの、ヒノキは、現在でも阿里山の代名詞として知られているからです。
そして、数年前から大手のコンビニエンス・ストア・チェーンと提携して、全国各地で奮起湖と同じ内容の弁当が売られるようになりました。これは紙の箱に入れられたものです。発売当初は話題を博し、全国で一日平均二〇万個の売り上げがあったといいます。
こうして、奮起湖の弁当は、過去のさまざまなものを利用しながら、発展・進化を続けてきました。幾種類もの弁当箱からその一端をうかがい知ることができます。
ここのホームページは、台湾の原住民について、まとまっていて、
勉強になるサイトです。私も読み進めていきたいと思います。
別記事で買いた、歌手の王宏恩やそのほかの原住民関連の歌手についても
言及がありました。
hidatakayama-maria.hatenadiary.jp
展示を見ても、様々な木々が育てられていたことがわかったし、
日本統治時代の資料は、日本語のものもあり、興味深く思いました。
木の種類の中には、台湾杉(学名にもFolmosaが入っていた)があり、
台湾にしかない種のものもありそうです。
現在はスイッチバックの駅はなさそうでした。が、昔はこの奮起湖駅が
まさにその場所で、みんながお弁当を楽しんだんですね。
当時の、林業従事者たちの様子を思い浮かべると、また違った味わい方が
できるかと思います。ちょうど向かいに、「野生愛玉」の店があり、
初めて「野生」のものを食べました。が、ここのは緩めに作ってあり、
レモンを加えたもの、黒蜜を加えたもの、どちらも美味しかったです。
冷たい・熱い を選ぶことができます。
東京の上野に「オーギョーチー」の店(創業1934年)があることから、
本場ではどうなんだろう?と質問してみました。
一緒に行った台湾人は、中国語読みと同じ、「アイチー」じゃないの?
と言っていましたが、店主に聞くと「愛玉」は「オーギョー」だと
言っていました。実は、この質問、すでに台湾人にたくさんしているのですが、
今まで、「オーギョーチーだ」と言う台湾人にあったことがありませんでした。
今回、初めて「オーギョーチー」の呼び名を知る台湾人に会って、ちょっと
嬉しくなりました。WIkipediaにはちゃんと、表記がしてありました。
アイギョクシ(愛玉子、学名:Ficus pumila var. awkeotsang)はクワ科イチジク属のつる性植物。その果実から作られるゼリーのデザートをオーギョーチ(台湾語のò-giô-chíから)という。
愛玉子という名の由来は、台湾通史の「農業志」に記載があり、実を水の中で揉みだすと固まる性質を発見した人が愛娘の名「愛玉」にちなんでつけたものとされている。
そうそう、丸い実を裏返すと、ゴマのような種子がびっしりついており、
それを乾燥させて使うようです。ペクチンが極端に多いため、寒天のように
加熱しなくても、水の中で揉むだけで、固まってくるそう。
ちょっと、高いと言われて、今回は購入しなかったのですが、
今度、買って家で作ってみようかな。と思います。
そうそう、こち亀 64巻(出版年:1990年)に出てきているらしい
と画像を探したら、ありました。
作中では「冷やしてたべなきゃだめだよ」と言っていますが、
そんなことはないです。ちょっと肌寒い日なんかは、暖かい愛玉子の方が
体に優しい。温まりますし。店によって、とろみ加減が異なり、
寒天ゼリーのように固めにプルプルしているものもあれば、
ちょっと緩めで、ドリンクとして飲むように提供している店もあります。
台湾にきたら、ぜひ色々な店で試してみてください!
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参考:
Wikipedia : アイギョクシ - Wikipedia
谷中で80年以上人気の老舗甘味処「愛玉子」のひんやり台湾スイーツ ~池波正太郎や「こち亀」の両さんが愛した味を昔ながらの空間でいただく幸せ~ - 己【おれ】